2014年09月

2014・9・18
 
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  立川からバスで行ける「大相撲観戦のツアー」があったので、友人をお誘いして行って来ました。
  
  時間があるので途中、築地市場でのお買いものやお食事、新装なった「歌舞伎座」の見学など盛りだくさんです。
 
 
 
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  足をのばして築地本願寺の見学もして参りました。
  一見インド風の珍しいお寺ですが、この建造物は文化庁の有形文化財にも登録 されているそうです。
 
 
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                                     内部は自由に見学できます。
 
 
  次は浅草の浅草寺参りです。
  ここは外国人の大勢の観光客で、大賑わいです。
  バスは近くには止められなくて、裏の「二天門」からのお参りです。
  何時もはあまり来れない場所なので、かえってよかった。
 
 
 
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  3時半を目途に、両国国技館に到着です。
  隅田川沿いに建つ国技館の大屋根、相撲はテレビでしか見ないので、幟旗や櫓の姿を見るだけで興奮してきます。
 
          大相撲9月場所 5日目
 
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  国技館に入場するとそこが正面席、団体席は向正面の天井桟敷です。
 いつもテレビで見ているのとは逆の方向です。
 カメラの望遠で撮ったいくつかのシーンをアップしました。
 
 
 
 
  何度も繰り返す仕切りなど、一人ひとり個性が違って面白いです。
  天井桟敷も悪くないですね。
  
 
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  まだまだ今場所は続いています。優勝は決まっていそうですが、みなさん頑張ってください!
 
 
 
 
 
 

2014・9・13(土)
 
 
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 3日目です。まだまだ災害の残る宮古市大槌町の街並みを窓外に眺めながら、この日もまた三陸の美しいリアス海岸に沿って、鉄の街・釜石を過ぎ、気瀬沼、大船度、碁石海岸と東日本大地震の激震の跡地を走りました。
 
 
 
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 三陸鉄道宮古駅から、釜石駅までの間をつなぐJR山田線は、未だに復旧されず運休のままです。
  
 美しい断崖絶壁のリアス海岸の風景も、その間にある小さな入り江のほとんどは、壊された土台のみが残され荒地のままでした。
 
  断崖に叩きつけられた白波と黒松、荒波に研磨されて碁石になった海岸の小石の美しさから、碁石海岸と名付けられたいう景勝地を最後に観光地めぐりは終わった感じです。
 
 いよいよ最大の津波被害を蒙った陸前高田にやって参りました。
 
 
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 死者・行方不明者が2、000人にも達したという災害の復旧はそう簡単にはいかないようです。
 
 災害に強い安全な街づくりを、平成30年までに終わらせるが目標との事です。
 後世に悔いを残さぬよう、大規模な形での復興を目指しているのでしょう。
 
 希望の橋と呼ぶベルトコンベヤーが、ブリッジのように掛けられています。
 埋め立ての土石を運んでいるのでしょうか。
 
 
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 奇跡の一本松
   平成23年3月11日、陸前高田市を地震と大津波が襲いました。死者、行方不明者は2,000人近くに  のぼり、市街地や海沿いの集落は壊滅しました。過去の度重なる津波から高田のまちを守ってき    た、約7万本と言われる高田松原もほとんどが流されてしまいましたが、その中で唯一耐え残ったの  が「奇跡の一本松」です。
                                         インターネットより
 
 
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  復興の象徴として保存された「奇跡の一本松」には1億7千万円もの募金が寄せられたとのです。
 
 
 一本松を後に、気仙沼の復興屋台村・気仙沼横丁にも行きました。
 
 被災して半年後、いちはやく立ち上がった笑顔ひしめく飲食店22軒が並んでいます。地元野菜や海産物を使って安く提供しているのです。
 
 
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  壁には一面に応援に来たタレントや芸能人の色紙や写真が貼ってあります。
   港町のさかな市場で最後のショッピング、これも応援という訳です。
 
  この後松島観光でしたが、遊覧船には乗る気になれず仙台駅へ、新幹線で帰京  いたしました。
  
  被災地に出掛けることも現地の応援になるとも思って参加したのですが、被災された規模の大きさに驚きました。 
   一日も早い復興の日が来ますよう念ずるばかりです。
 
 
 
 
 
 

2014・9・12
 
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  三陸を代表する景勝地の浄土ヶ浜に来ました。
 
 松の緑と岩肌の白さが群青の海に映えて、さながら浄土のごとし…と名付けられた浄土ヶ浜。
 
 この浜辺も大津波は、2階建てのレストハウスの屋根まで届く勢いで襲ったそうです。その壁には「ここまで津波・・・」との標示がしっかりと遺されていました。
 
 
 
 
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 でもこの浜はすっかり奇麗に復興されていて、見事に敷き詰められた石ころにも、この後乗船した遊覧船から見る美しい景観からは、津波の被害は逸走されていました。
 
 私たちの乗船した船は、津波の時、とっさの船長の機転で遠く海上に逃げて、一艘だけ無事難を逃れたそうです。
 
 
 ここで、撮りためた動画をつなげたムービーをご覧頂きましょう。
 
 北から、八戸市種差海岸、宮古市浄土ヶ浜、大船渡市碁石海岸の順。
 
 
 
 
 
  鋭くとがった 白い流紋岩が林立し、一つ一つ違った表情を見せて海岸を彩ります。まさに一見の価値ありでした。
 
 
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  浄土ヶ浜に思いを残しながら、この日の宿は大槌町・浪板海岸の海辺のホテル
「三陸花ホテルはまぎく」です。
 
  津波によって壊滅的な大被害を受けた大槌町の「波板観光ホテル」が、昨年9月「逆境に立ち向かう」という花言葉を合言葉に、新しく生まれ変わったのです。
 
 
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  明日はいよいよ奇跡の一本松に行きます。
 
 
 
 
 
 

2014・9・11~13
 
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 1日目  9月11日(木)
 
 H23.3.11の震災後、中止されていた人気ツアーが復活されたと聞き、歌声仲間9人で参加、少しでも被災された三陸沿岸の皆さま方への応援が出来ればいいなと
思って出掛けて来ました。
 
 東京から新幹線で八戸駅まで2時間半、八戸辺りにも津波の影響はいまだに残っているようですが、三陸のあまりの被害の凄さのせいか忘れられているようです。
 
 三陸復興国立公園として整備のなった種差海岸の美しい芝生や穏やかな海を見ている限りでは、この後見ることになった大津波の凄まじい傷跡など想像出来ませんでした。
 
 
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 海岸に沿って南下、久慈駅から本年4月から全線復旧した三陸鉄道北リアス線に乗車、日本を代表する大断崖の景勝地である北山崎に近い普代駅まで、テレビ小説「あまちゃん」の舞台として有名になった三陸鉄道も楽しんで来ました。
 
 
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 噂に違わず北山崎の景観には圧倒されました。
 標高差200mの大断崖が南北8kmにわたって続きます。
 さすがの大津波もこの断崖にはびくとも出来なかったようです。
 昔ながら景色はそのままの姿をとどめていました。
 
 
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 北山崎を最後に、この日はこの先の田野畑村のホテル羅賀荘に泊まりました。
 しかしこの羅賀荘、3年前の大津波では3階まで被災したものの、わずか1年半で復旧して再開を果たしたそうです。
 
 
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 第3セクターの力で復活したという羅賀荘の皆さまのおもてなしのお料理には、大満足いたしました。
 新鮮な海の幸の数々、大好物の私には最高の幸せでした。
 
 津波の経験から、2階からは裏山に逃げられる避難路も出来ているとか、雇用創出と地域経済の活性化にも寄与しているようです。
 
 
 
 2日目   9月12日(金)
 
 今日は沿岸より内陸に入り、岩手県岩泉にある日本三大鍾乳洞の一つに数えられる「龍泉洞」に立ち寄りました。
 山口県の秋芳洞・高知県の龍河洞に次いで第3位の規模といいます。
 
 総延長は5000m以上と考えられるそうです。
 その奥からは清水が湧き出て、深い地底湖を形づくっています。
 
 
 
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 案内に従って第3地底湖まで見に行きましたが、神秘の青に輝く水深98mの地底湖を覗くためには、大変な努力が必要でした。
 
 階段の登り降りが大変でした。よく案内を聞いてから行くべきでした!
 
 
 
 バスに戻り宮古市の浄土ヶ浜に向かいました。
 途中、万里の長城とも呼ばれていた「田老の大防潮堤」のあった田老地区も見て来ました。
 
 かってチリ地震の時にも耐えられたと云う総延長2433m、海面の高さ10mという長大な防潮堤が、今回の大津波には役に立たなかったのです!
 
 
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 車窓から見る限りでは、まだまだ復興はその緒に着いたばかりのようでした。
 
 仮設住宅なども、何れも生活には不便そうな場所にばかり、被災地の実情は実際に目にしてみてやっと理解出来るような気がします。
 
 
 綺麗な海をとり戻した宮古市の浄土ヶ浜の様子は次回にゆずります。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 

2014・9・6
 
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  猛暑の間はストップしていた風景スケッチですが、9月になって早速神田明神から
始まりです。
  お茶ノ水駅に程近い東京では有名な神社ですのに、初めてのお参りです。
  
 
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 大鳥居をくぐると立派な随神門が見事なたたずまいで建っていました。
 建立は昭和50年、平成10年に塗装し直されたという朱色が鮮やかです。
 
 
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  スケッチをしているとにわかに騒がしくなりました。結婚式が始まりました。
 
 
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  神田明神は江戸東京に鎮座して1300年、江戸総鎮守として、江戸のすべてを守護されてきた歴史のある神社だったのです。
 
 今もなお、東京―神田、日本橋、秋葉原、大手町・丸の内など108の町々の総氏神様として、江戸の素晴らしき伝統文化を保ちつつ、この東京都心をお守り頂いているからなのです。
  この日も4組の結婚式が挙げられていました。
 
 
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     獅子山伝説
       親獅子が子獅子を谷底に突き落とし、はいあがってきた子をはじめて我が子とす    るという内容を造形化したもの       インターネットより
 
 
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       えびす様(すくなひこなのみこと)
  
    えびす様は正式のお名前を少彦名命(すくなひこなのみこと)と申しあげ、神話に木    の実を舟にして海の彼方にある常世から来訪された小さな神様と伝えられています。    また『だいこく様』と力を合わせ日本の国作りを行われ、病人に医薬の道を教え、酒    造りなど豊かな知恵を人々に授けられた福の神でもあります。
                           インターネットより
 
                           
 肝心のスケッチの方は相変わらずのできですが、今日はとても興味深い神社参りが出来ました。
 
 先輩の素晴らしいスケッチを写真に撮らせて頂きました。
 こんな迫力のある絵が描けたら~~夢です!
 
 
 
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  はずかしながら、わたくしの本日のスケッチです。これから仕上げねばなりませんが…
 
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